我が恩師

中学生の時、吹奏楽部に所属していました。
パートは、最初クラリネットでしたが、後に顧問の先生より、
「久美子はサックスに行きなさい」と言われ、アルトサックスに変わりました。

大人になってから気がつきました。
おそらく、当時私の実家が高価なクラリネットを買う余裕がないことを先生が察して配慮してくれたのだと。
(アルトサックスは学校の物を使うことができたので…。)
今となっては、「アルトサックスでよかった…。」と心から思います。

短い期間でしたが、これまでの学生生活の中で吹奏楽部時代、本当に充実した日を過ごすことができました。
それから35年以上経って、再び楽器を吹くことに心から生きがいを感じることができるのも、
すべて当時の恩師のおかげです。
その恩師の訃報が一昨日の夜に届きました。
未だに信じられません。
「教え子たちで演奏会がしたい」と話されていた先生。
もう一度だけでいいから、先生の指揮のもと演奏したかった。
本当に悲しいです。。

先生、暖かい沖縄でどうぞゆっくりお休み下さい。
これまでの長い音楽の道のり、本当にお疲れ様でした。
先生、有難うございました。
琉球新報の記事

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